逆風が吹いていたために
三月の風はしばしば荒く吹きすさぶ。これはわたしの生涯の荒れる季節の模型ではなかろうか。しかしわたしは季節を知っていることを喜ばねばならない。わたしはいつも昼過ぎのようなれんげ草の土地、または荒い風の吹かないアヴィリオンの青草の谷にすむよりも、雨の激しい洪水の地に止まる方が更に善いと思う。誘惑の暴風は残酷に見える。だがそれは、より熱心な祈りを与えないだろうか。また更に強い力を持ってわたしに約束を把握させ、またそれは精錬された品性を残さないだろうか。
死別の暴風は鋭い。しかしこれはわたしを神ご自身に引きつける天父の道である。また、それは神の御臨在の隠れたところで、神の御声が柔らかく低く、わたしの心に聞こえるためでもある。
風が逆で、船が波のために翻弄される時にのみ見られる主の御栄光がある。「イエス・キリストは暴風に対しての安全」ではなく、彼は暴風の中の全き安全である。彼はあなた方に安易な道を決して約束しなかった。彼が約束したもうたのは安全に上陸することである。







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